1994.6.14.父他界


1994.6.14. 23:35
 多臓器不全からの心不全   格好いい男   父他界 享年55歳

闘病生活9年の幕を閉じる。
その日俺は休みで久々にお見舞いに行く。
たいした話もせず5分くらい病室にいた。父から一言
『足揉んでくれ!』クサってボルトが入ってる足のほうだ。
『ああ~いいよ!』良くこ~やっておこずかいもらったな。
数分後
『ん、有り難う、もう帰れ。お前には今やる事があるはずだ。もういい。』
『何だよ!照れてんのか?』
『いいから!もうすぐ母さんも来るから帰れ!』
『あ~また来るわ』
『来なくていいからやる事やってろ。』
『解った解った。またな。』
『悪いな』思えば最後の言葉だった。
駅に向かう途中時間がとまった。『悪いな』あの親父が?家族皆に電話
をした。今みたいに携帯を誰もが持っている訳でなく大変だった。
家族全員に『逢えるなら今日逢いにに行け!理由何かね~行け』
一方的だった。
数時間後帰宅。
皆から電話があった。『パパ凄く元気だった。』
皆が皆答えは一緒だった。
俺には嫌な予感がました。
数時間後
電話が鳴る...
母から『パパが危篤...』その後は覚えてない。
家を飛び出した。ひたすら走った。電車、タクシー、こんなに遅いと思った事はない。
病院に到着23:40
入り口に入る瞬間目の前に崩れた姉を見た...俺の顔を見たとたんに
抱きついてきた。
『パパ死んじゃった~』
『お袋は?』
返事は無い。
『落ち着いてそこ座ってろ。』
病室に向かう。
お袋は涙をこらえながら言った。
『パパ頑張ったね~お兄ちゃん』
『ああ』
病室は血まみれだった。ベット、床、テーブル、
血だらけの水が入ったグラス。
ナースコールを押そうとする形跡なし。ただ親父の好きなミルクキャンディーが目に付いた。途中まで開いていた。

格好いい死に方なんかこの世の中には無いと思う。結果は一緒だ。
ただ悔しかった。
皆を集めまだ暖かい父と...
こんな時しか家族集まらないって...
しばらくして明日意向の手配をし俺以外を帰宅させた。
思わず心で『よ~何してんだよ!』
冷たくなっていく。
腹水が大量に溜まったせいか、鼻、口から水がちょくちょく出てくる。
朝までずっと拭きっぱなしだった。

2日間の通夜告別式が終わり、やっとコシを降ろせた。
『泣く暇もね~よ。』
ただ驚いたのはこの親父の為に400を近い人が集まった事だ!
『やられた!このジジイ格好いいじゃね~か。』
生前にもらった一枚に色紙を思い出した。
“愛とは男のけじめなり”
『意味は考えろ!その内お前なら解る。』
こんなところで教えやがったクソジジイ!!
強烈だった。

俺の仲間も沢山来た。親父の趣味の手料理を食べてる奴等だ!
皆決まって言う。
『あのラーメンがもう喰えないのか?』
『あれより美味いのはね~』
俺もそう思う。俺のラーメン嫌いの理由だ。

一人になり公園のブランコで遊んだ。
あの公園での号泣は忘れないだろう。

実家の整理を皆でしていた。
『おい!!』
『ど~したの?』
『また、やられた』
『何?』
『親父の腕時計』
皆が驚いた。
23:35  14
止まっていた。

すべて最初から考えてろって事だな。
父からの教わった事は一つ!
『お前が決めた事は正しいんだよ。答えに向かい方程式を考えるのが個性でお前なんだ。間違えは無い。ただそれを他人に当てはめるな、他人はお前じゃない。1+1=2じゃない2=が個性だ。2になりゃいいんだよ。』

『俺は馬鹿だからわかんね~よ。』

『自分を馬鹿と言えるお前は利口だ。ただ自分を責めるな。』


俺が15歳から一人暮らし出来た理由はこの親父のおかげだ。

おれの中での親父は22年半地上で生きた。
今年で10周忌
今も十分俺の中で生きている。
ま~よく夢にも出てくるわ!
決まって一発殴り!一言
『何でか解るな。』
『答え教えろよ!』小さい時はいつも思った。
今は少し解る感じがする。

でもまだまだ殴られるな。
今年32歳になるけど親父から見れば
生涯小僧には違わないからな!

6.14この日に近づくといつも何か思い出し、
笑いながら
『このジジイ格好いいな~と思う。』
俺は幸せもんだ!

今はど~よ?
『2になりゃい~よ!』
今じゃ俺の口癖か?
貰っとくぞ!殴るのか?一つ位くれよ!!
いいだろお前が俺を生んだんだから。
『じゃ~俺帰るわ、またな!』

6.14今となりゃイイ日だ!





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